アメリカが江戸幕府に開国を要求し、日米修好通商条約が結ばれた。これによって貿易のため横浜港が開かれ、関内に外国人居留地が置かれた。その関内地域と横浜港を結ぶ道路のうちの一つとしてこの道は1868年に開通した。外国人はこの道を馬車で往来しており、当時の人々にその姿は非常に珍しく、「異人馬車」などと呼んでいたことから、この道は「馬車道」と呼ばれるようになった。さらに翌年の1869年(明治初年)には下岡蓮杖ら日本人商人の共同出資によって東京横浜間の日本初の乗合馬車の営業が始まったのです。
2004年、横浜高速鉄道みなとみらい線が開通し、この地域に馬車道駅が設置された。横浜における馬車道の名称は、市民に定着した伝統的な通称としての地域名称であり商店街の名称となりました。
音屋MI-COのある馬車道は、横浜の香りが残るまちなのです。
生伴奏で、歌える、遊べる店は数少ない店となります。