オフィシャルニュース「音屋MI-COは新たに音屋369 へ」

「音屋369 ~Entertainment Stage OTOYA MIROKU」、魂の歌伴奏家まあぼうの魂を受け継ぎ、音屋MI-COは新たに音屋369 へ

港町横濱から、魂を響かせるエンターテインメントステージへ。魂の音風を横浜・馬車道から届けます。順子さんに音屋MI-CO誕生から、未来のお話を伺いました。

質問:「生伴奏家MARBOH」とは?どういう方でしたか?

順子:彼が大学生 音楽少年時代の話です。平塚でバイトをしていたのが、桑田佳佑さんのお父さんが経営し、原ぼうさんが店長という店!ライヴが出来る店「おれんじ音屋」だったそうです。神奈川県の平塚にあったのですが、持ち前の明るさや笑いのセンス、アーティストの天性が開花し、行列ができるほど人気となり、そこで「まあぼう」のパフォーマー魂が開花し誕生した。今は伝説化し、おれんじ音屋はもう存在していません。

質問:音屋MI-COの由来をあらためて教えてください。

順子:「音屋」と「音魂」を響かせたいと、魂の共鳴という私たちの思いが重なり、この名前にしようと絵コンテを書いてデザインを考えたり、よく話し合いました。

MARBOHが音屋という名前がルーツでもあり復活させ語り継ぐのもいいかもと。友人や当時のオリジナルメンバーに連絡し想いを語っていたことをよく覚えています。

質問:山中順子さんの母がMI-COママですよね?

順子:はい、そうです。家族の店、人生の第3ステージとして、MARBOHさんのパフォーマンスと母の最後の仕事として、コロナ下でみんな、どこかやる気を失っていましたし、主人の最後の舞台になるから、相応しい場所として家族の居場所として店を開業しました。

質問:息子であるMARBOHさんは、実は順子さんのお母さんと一緒に仕事をされていたのですね。そして、プロの生伴奏家として横浜関内で音楽の街を盛り上げていた方なんですね。

順子:はい。親孝行ができなかったから、順ちゃんのお母さんと親子できることが、親孝行のやり直しと言っていました。そのような深いドラマと、ここ馬車道、横浜に最後の居場所として誕生させると、一緒に話し合いました。すでにたくさんの病気を抱えていたので・・・。横濱っぽい、港の粋なドラマみたいですよね〜。ちなみに、MI-COの由来はママが三重子でもあり、桑田佳祐さんの歌MICOにも繋がってます。
音屋MI-COは、音楽にちなんだ名前でした。MARBOH本人から、音楽業界の秘話や横濱の話などたくさん聞ける店でした。25年以上お付き合いをし、5年間の結婚生活、弊社の経営陣として信頼のおける最高のパートナーで親友・仲間でした。そして正真正銘のエンターテーナーでした。

質問:今後の音屋について聞かせてください

順子:音屋MI-COは3周年を機に10月リブランディングとなります。新名称は 「音屋369 Bashamichi Entertainment Stage 」OTOYA MIROKUと言います。

「魂の歌伴奏家まあぼう」の魂を受け継ぎ、音屋MI-COは新たに音屋369へ。
そして、私の故郷である港町横濱。元町に芸能事務所、音楽養成所を経営してから27年が経ちました。
魂を響かせるエンターテインメントステージへ。
全ての想いを横浜・馬車道から魂の音風に乗せて、お届けいたします。

2025年8月17日のリリースライブ、MARBOHオープニング映像

2025年8月17日のリリースライブ。横浜のレジェンド、音楽家が集まってくださり、新たな未来へエールLIVEをオフィシャルで開催いたしました。
MARBOHアーカイブLIVEでは、皆様がまあぼうさんの笑顔に触れる時間となりました。
オープニング映像では、まあぼうさんの仲間や想い出でお出迎えから2部構成で始まりました。

オープニング楽曲 作詞作曲歌山中順子

まあぼうさんの奥様の順子さんが2023年4月に、中野、新井薬師の桜並木の下、想い出の地で作ったオリジナル楽曲「春待草」です。
「今日という日が最後かもしれない、だけど笑顔でいられるように」と語られました。
伝えられない悲しみや思いを歌にしたそうです。同じような痛みを抱える人にとどきますようにと。
soul songs labels YouTubeに歌語りがあります。
歌の背景を物語る、音物語、是非ご覧になってみてください。

音屋オフィシャル 広報事務局より